2022年秋には映画の主演も決まっている横浜流星さん。
今回は「横浜流星の空手の世界一はいつで何歳の時?やめた理由についてもご紹介!」していこうと思います。
甘い笑顔のさわやかな俳優の彼は、日本の格闘技である空手で世界一になったとのこと!どんな大会だったのかファンとしては知りたいです。
仮面ライダーやトッキュウジャーの時のあの身のこなしは空手の経験者だったこともあったんですね。
横浜流星の空手の世界一はいつで何歳の時?やめた理由についてもご紹介!どうぞご覧ください。
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横浜流星の空手の世界一はいつで何歳の時?

横浜流星さんが空手を始めたのは2003年11月、小学校1年生の時のようです。
体験入門をして一番楽しかったから始めたとのことでした。
小学校の生活にもなれ、新しく習い事を始めたのでしょうね。
入門したのは「極真空手」。実践空手として知られる流派です。
フルコンタクト空手ともいわれ、練習や試合で組み手をしたときに相手への打撃は「寸止め」ではなく「当てる」ものです。ちなみに「寸止め」なのは伝統空手と言われています。
練習はとてもハードで立ったままひたすらローキックを受ける「打たせ稽古」というものがあり、それで立ったまま失神したというエピソードもテレビ出演した番組でご本人から語られいました。
話を聞いただけで痛そうな格闘技という印象を受けます。ですが日々、練習を積み重ね毎日鍛錬したからこそ大会で成績を残せたのでしょうね。
このがんばりは、空手の試合だけでなく生きていくうえでも少しぐらいつらくても負けない心と体を作ってきた基本になったのだと想像が出来ます!
横浜流星は14歳で空手世界一になった!
空手世界一になったのは2011年11月に開催された「第7回国際青少年空手道選手権大会」の13・14歳男子、体重55kg以下の部です。
また同じ2011年6月に行われた「2011全日本青少年空手道選手権大会」の13歳14歳男子、体重55kg以下の部での優勝もありました。こちらは国内大会ですから日本一ですね。
空手を始めて8年目の中学3年生14歳での全日本大会での優勝で日本一と世界大会出場からの優勝!
失神するほどハードな練習を乗り越え、日々の練習が結果として出たということなんでしょうね。
横浜流星さんが所属していた「極真会館」という空手道場は全国に支部がある大きな団体で国内外の大会で優勝・準優勝など好成績者を多数で排出する名門道場であることも後押ししたのでしょう。
家族の支え、指導者の先導、そしてなんといっても本人の努力の結果という以外にはないと思います。
横浜流星はどんな空手の大会で優勝したの?
ではこの大会、どんな大会だったの?参加者が少ししかいないマイナーな大会?とおもった人のために説明します。知れば流星さんが心も体も強いことがわかります!
まず初めに2011年は3月11日に東日本大震災がありました。
そのため横浜流星さんが日本一になった「2011全日本青少年空手道選手権大会」は通年は4月に東京で行われる大会だったものが6月にそして大阪での開催になったのです。
流星さんは関東、埼玉県に住んでいたので震災によって不便な生活を体験したことでしょう。震災当日は中学2年生。様々な普通でない時間を送ったと想像できます。
大会が開催できないかも、など心配もある中での体調や気持ちを作っていったことはすごいことです。
また大前提としてこの大会は参加条件があり、中学生は前年度の地方大会以上の優勝者またはそれに準ずる成績の選手のみが出場できるものです。
条件だけでなく困難な状況の中での精神の強さ、すごいです!
次に世界一になった「第7回国際青少年空手道選手権大会」も言わずもがな、大会への参加条件は日本各地の地方大会等を勝ち抜いた実力者が世界の猛者を迎え撃つ、全国大会に並ぶ最高峰の大会の位置づけされるものです。この年も世界70の国と地域から代表選手が出場していました。
日本一になったことからの国際大会出場、そして優勝!世界一!つながっているんですね。
震災の影響を受けた年度に今までの鍛錬の成果を出せたことは強い精神力も持ち合わせていたこともあったのでしょう!
横浜流星が空手をやめた理由はなに?

ご紹介したように横浜流星さんは世界一の成績を残していますが現在は空手を続けていないようです。
世界一になったので、区切りをつけて止めてしまったのでしょうか?
それとも、失神するような超ハードな練習から離れたかったから?
流星さんは以前「k-1の選手」になりたかったという夢もあったと聞きます。
そんな流星さんが現在、空手の練習をしていない理由について調べてみました。
横浜流星が空手をやめたのは仕事を優先したから!
小学6年生の時、現在所属している事務所にスカウトされたそうです。
事務所に所属していましたが新人対象のレッスンはあまり参加せず、空手を続けていたとのことでした。本当に空手に夢中になっていたことがわかります。
そんな流星さんが雑誌のインタビューでなぜ空手をやめたのか、理由をお話していたことがありました。
そこでは、徐々にお芝居の仕事の楽しさを実感していたとのこと。一方で高校になってからも空手を続けるか、俳優業に専念するか、大学に進学するかで悩んでいた時期があったと話していました。
その時ご両親から「人生は一度きりなんだから、流星の好きなように生きなさい。」とのアドバイスがあったそうです。
流星さんのことをちゃんとみて、信用してくれているからこその言葉だったと思います。
頑張ったからと言って成功できる世界ではない芸能という世界を選んでも受け止めるというご両親の覚悟もあったのですね。
この言葉を受け「今しか出来ないことをやろう」と考えた流星さんは俳優業で生きていこうという選択をしたそうです。
どの選択をしても流星さんならきっと間違えではなかったと思います。
その中でも俳優の仕事を選択したことで「仮面ライダー」「烈車戦隊トッキュウジャー」の出演に始まり「日本アカデミー賞新人俳優賞」などの軌跡を残してきたのんですね。
俳優業で生きていくと決めたから全力で取り組んだんですね。
横浜流星は空手をまた再開するの?
流星さんは現在でも運動は続けており、体の鍛錬は続けているようです。
俳優業で生きていくという決断から考えると、スタントの代役を使わないで自分で演じたなどのエピソードも「烈車戦隊トッキュウジャー」でもあるようですのでそのための体づくりとも考えられます。
ただ、俳優業と空手を両立するのは時間的にも難しいから今は空手を少しお休みしてしているととらえた方が良いのかもしれません。
某テレビ出演の時、空手道場に今も籍を残してもらっているということを言っていました。
道場にしても世界一の道場の門下生の名前を残していたいですよね。
そう考えると空手の再開はしばらくなさそうですね。
でも今後はドラマでのアクションも見られるかもしれませんね♪
まとめ

小学1年から初めて中学3年生で空手の世界一になった流星さん。
その実力は本物でした!
横浜流星の空手の世界一はいつで何歳の時?やめた理由についてもご紹介!いかがでしたでしょうか。
空手から俳優として専念することを変えたということで今の流星さんがあるのですね。
今でも体の鍛錬は続けているとのことでしたのでアクションでの活躍も今後は期待できそうですね♪
「横浜流星の空手の世界一はいつで何歳の時?やめた理由についてもご紹介!」最後までご覧いただきありがとうございました。